今日は新年早々ですが、昨年検査入院した結果を聞きに病院へ来ています
(ということで、事務所には出ません)
予約時間が過ぎても、全く呼ばれる気配もなく、待合室でボーっと考えゴトをしていたのですが、
ふと、、、
ひと昔前は”二足の草鞋”なんて、どっちつかずで性根を据えていないと、非難を浴びることになりましたが、今は収入を得る手段が複数あるなら、支障が出ない程度にどっちもやればいいじゃん、という風潮なのかなと、思ったりしています
かく言う私は、二足の草鞋の経験者なのですが・・・
私の時はまだ非難の声のほうが多い時代でしたね〜
でも、私の信念として、どういう状況であれ、両立させるという気持ちは強く持っていたので、他人に批判されることに何ら揺らぐことはなかったですね
少し飛躍しますが、思うに、仕事をする意味なんて深く考える必要はないと思うんですよね
ズバリ生きるため、なんですよ。このことに異論は出ないはず
生きるため=食べ物を買う、住むところを得る、服を着る(衣食住)
ですよね
その他のこと(名誉とか、由来とか、伝統とか、キズナとか)、
そういうものは所詮、後付けの結果論。
うまく運べば、正論のように聞こえ、
不運に運べば、『そら見たことか』と非難轟々。
この現実世界で生きるのは他人ではなく、自分。
誰のせいにもできず、言い訳も、全部、最後は自分に返る。
それなら、”意味”とかどれほどの価値がありますか
ただガムシャラに好きなように好きな時に自分のできる限りをやれば、
そんな幸せなことはないのではないかと。
履ける草鞋なら何足でも歓迎ではないか