精神科を標榜する診療所が増加している、という記事を前に見たことがあります。
今の時代、科学技術の進歩が著しく、30年以上前には想像もできなかったものに囲まれて日々生活している私たちの暮らし。
それが、当たり前になってしまったことで、そのありがたみすら微塵も感じることなく、私も含め、みなさんもその便利さに埋没しているのではないでしょうか!?
そんなある意味豊かな時代になっても、私たちの「心」だけは今も昔も同じなのかもしれませんね。
その記事を見た時にそんなことを思ったんですよね、
昔の心の痛みと今の心の痛みの原因は違うとは思いますが、「人の心」は痛むことがあるという不変の構造が前提にあって、そこに今の時代の持つ特有の環境によって精神科の受診率が上がっているということでは!?と。
見なくても良いこと、見ることができなかったことをを見ること(見ることができること)になったり、
聞かなくても良いこと、聞くことができなかったことを聞くこと(聞くことができること)になったり、
今はあまりにも自由に野放図に無遠慮にいろいろなものと出会える環境が整い過ぎていて、自分を保つのに苦労する。
でも、もう後戻りはできないツール環境だから、それを操る人間が省みるしかないんでしょうね、我々はこれから自分たちが創り出した便利な暮らしの代償と向き合っていく、そういう時代をどれくらい費やす必要があるのでしょうか!?
そういうことが解決する頃には私はもうこの世界にはいないのかもしれませんが・・・
