どんな事柄にもあてはまることかなと思うのですが、物事がうまく運んでいる時はプラスに働いているものでも、一転してうまく運ばなくなるとマイナス評価を受けてしまう
友達同士、「あだ名」で呼び合うことは親しみや信頼、仲間意識とか、大人になってからも有用なアイテムだと思うわけですよ。
そりゃ、たまには差別的な表現になってしまったこともあるかもしれませんが、私は幼稚園の頃から今に至るまでそういう認識で使っています(使ってきました)。
私の言葉で気分を害した人も当然いることでしょう。
逆に、高校1年生まで身長が特に低かった私が、半分は良い意味合いではない呼称を使う友人もいたなと記憶していますが、そんなに気にならなかったかなと。
この問題は、大学1、2年生くらいまでの3、4年の間に、高校時代の同級生のほとんどを追い抜くくらい身長が伸びて、当時私をチビ呼ばわりした友人に冗談で仕返ししてやったことで解決したので
結局、こういう経験を経て、人間関係の構築の仕方、コミュニティでの位置づけを学ぶものではないでしょうか
というか、こういうことでしか学ぶことができないようにも思います
あだ名を使うか否かと、いじめ対策は残念ながらそれほどリンクはしないでしょう、と私は思いますね・・・
これって、単に「あだ名で呼び合う」という行為がなくなるだけで、その根本の気持ちを変えることはできないわけですから
そう、いじめようという気持ちは誰にも変えることができない以上、意味がないということになってしまう、とても残念なことですけど
さらに、小学校から高校生くらいまでの間に、良くも悪くも”あだ名コミュニティ”みたいな経験をせずに大人になったほうが免疫ができていなくて危険な感じもします
ギャンブル問題も同じような気がします。
ギャンブルそのものが悪いわけではないと思うんですね、身の丈に合わないギャンブルをして借金して返済できなくなったりということがマズイわけで
そうでないと、公営ギャンブルの存在はとか、パチンコ屋さんの存在はということになってしまいますからね
難しい問題です