昔、中央本線を走っていた「急行アルプス」
大学時代、自転車で信州を走るために輪行袋を抱えて深夜の新宿駅に何度行ったことか・・・
”23:50”
アルプスが登山客や飲み過ぎたサラリーマンを乗せ新宿駅を発車する時間。
なかでも一番の記憶に残っているのが、1992年10月29日だ。
あの日、私と2つ上のサークルの先輩と2人で自転車で乗鞍を越えようと出発した。
「乗鞍」越え・・・長野県と岐阜県の県境にある乗鞍岳付近を貫く「乗鞍エコーライン」と「乗鞍スカイライン」を長野県松本市から岐阜県高山市へ抜けようとする試み
なぜ、この時期でないと駄目なのか!?
乗鞍スカイラインは、11月から翌5月までは積雪のため通行止めになり、またそれ以外の開通している期間は、マイカー規制が行われており一般車両は通行できないのだ。
そう、つまり、1年中通行できない”はず”なのだ。
そこで当時私は考えた。
10月31日ギリギリの日であれば、例えば、雪が1日早く積もるようなことが起きて、前倒しで通行止めになるのでは!?・・・と。何となく、そのドサクサに紛れて自転車で越えてイケそうな気がしたのだ。
乗鞍地帯は日本のいわゆる自動車が走る道の中で最も標高の高い道路。
そういう意味での”道”としてはここより高い道路は日本にはない。
だから大学時代にどうしても越えておきたかった。
当時私を可愛がってくれていた先輩とともにこの冒険を決行することになってからいろいろ準備を重ねていたこともあり、特に思い入れがあるのだ。
結果どうなったか!?
ここで詳細を書くと長〜くなってしまうのですが、ほぼ思い描いた通りに完遂できました!
そうです、1992年10月31日に私が予想した通り雪が降ったのです!
前日の10月30日にエコーラインの途中にある冷泉小屋付近にキャンプしたのですが、朝起きた時に一面の銀世界だった光景は今でも忘れません!
ただ、降った雪の量が半端なく・・・
前日には全くなかった雪が一晩で1メートル以上積もっていたのですから・・・
小屋から標高2700メートルほどの畳平へ向け2キロ進むのに1時間かけ、最終的に5、6時間くらい胸の辺りまで雪に埋もれながら自転車を頭に担いで格闘したことを思い出します。
今でも先輩とあの時の話をするときに必ず言うのが、なぜ、あの時ふたりとも『引き返そう』と言い出さなかったのかと・・・
かなり命の危険に晒されていたと思いますが、何か引き返すという発想がなかった。
(冷静に考えると決してベストの選択ではなかったと思いますが・・・)
畳平から飛騨高山までの2000メートル近いダウンヒルは耳がちぎれそうなくらい寒かったですが、”越えた”というテンションが勝り、自転車に乗りながら雄叫びをあげていたように記憶しています。
1992年、このルートを通った”最後の”一般人はおそらく私と先輩。
世界でふたりだけ。
私の自転車人生の中で屈指のツーリングです。
10月29日になると、いつも思い出す。